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やり直し令嬢と宿縁の王 〜自国の滅亡を回避できないので、人生諦めようと思います〜

マツガサキヒロ / 著
堤 / イラスト
定価 1,320円(税込)
発売日 2022/07/29

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内容紹介

挫折の果てに待ち受ける運命の物語
オーレリアには、王太子・ユベールと隣国の王・ランベルト、それぞれの妻となった記憶があった。それは同時に、ランベルトによって滅ぼされる自国を、戦火から救おうとした三度の人生の記憶だった。そして四度目の生を生きる今。もう自分には国を救うことはできないと心を折ったオーレリアは、せめて滅亡までの間、自分の持つ治癒の魔法で人々を救おうと修道院に入る。しかしそこで、かつての人生で夫だった二人と顔を合わせてしまって…。「あなたがほしい。あなた以外必要としていない」逃げ出した果てで掴む、衝撃の真実と必然的運命。

立ち読み

   
   序章



 患者の目が覚めたというので、オーレリアは修道院の廊下を急ぎ足で進んでいた。
 額に当てた白布で前髪を隠し、頭を覆うヴェールもあってその煌(きら)めく金の髪が外に現れることはない。ヴェールもトゥニカも黒色で、俗世から離れた立場であることを一目見ただけで判別できるようになっている。とはいえそれらが、オーレリアの深い紫色の瞳まで隠すことはできず、その端正な顔立ちも相まって、暗い色を纏(まと)った世捨て人という印象を、その色が薄れさせているようにも見えたし、これ以上ない神秘的な存在のようにも見せていた。もちろんオーレリア本人にとっては見慣れた己の顔である。そのような視覚的効果には疎(うと)い。
「お嬢様、そこまでお急ぎにならなくとも」
「お嬢様はやめて、スール・レア。わたくしは身分を捨てた修道女なのだから」
「スール・オーレリア、見知らぬ男の容態なんてどうでもよくないですか?」
 公爵令嬢だった頃のオーレリアに仕えていた侍女のレアは、オーレリアが出家した時も同じく出家してついてきてくれた、かけがえのない人だ。だが時折間違えて、お嬢様と呼んでくるのが玉に瑕(きず)でもある。
「もう……」
 一つだけため息をついて、気持ちを切り替える。
「あの方は骨を折って倒れてらしたのよ。いつ意識が戻るかも分からなかったのですから、心配して当然でしょう」
「お嬢様が真っ青になられるぐらい治癒のお力を注がれたんですよ。治って当然です」
「レアったら……」
 思わず修道女を呼びかけるのにつける、『スール』を忘れてしまうぐらいには脱力した。いくら多少の恩義があるとはいえ、レアはオーレリアとそれ以外に対する扱いの差が大きすぎる。男性に関しては特に。
「それよりも、命の恩人がこんなに可憐で美しいという事実に間違った考えを持つのではないかと、わたくしは心配しております。殿方ったら自分の周囲の異性に対して、時折異常なほど都合のいい考えをお持ちですからね」
「もう、レアったら」
 侍女贔(びい)屓(き)というのだろうか。レアはオーレリアがあたかも絶世の美貌を持つかのように扱うのだ。オーレリアはもちろん、己の顔を嫌いだとか醜(みにく)いとか思ったことはない。が、レアが扱うほどに己の容貌が特別なものとも思ってはいなかった。
 本来修道院というものは沈黙を重視する。が、この国境沿いの修道院ではそういう規定が緩い。ゆえにオーレリアもこのようについついお喋りに興じてしまうのだが、時折我に返って沈黙を己に課そうとする程度には、オーレリアは真面目だった。レアの方はこのような緩さを好ましく思っているようだが。
 怪我人は国境のニクス河近くの木立にもたれかかった状態で発見された。右足を奇妙に歪(ゆが)めて倒れている姿は、騎士人形を子どもが振り回し、壊してしまったような稚拙な凄(せい)惨(さん)ささえあった。鎧(よろい)兜(かぶと)を身につけた彼はとても重く、そのため運ぶことさえ叶わずにオーレリアがその場で治癒魔法を使い、彼の足を癒やした。それから修道院に住まう唯一の男性であるモルガン爺に頼んで、修道院から馬車を出してもらい、どうにかして彼をこの修道院に運びこんだのだ。村人達や王宮の近衛騎士達がなにくれとなく協力してくれたおかげでもある。この鎧兜だけでも重い男性を、仮の病室にしている客室まで協力して運んでくれたことには、感謝してもしきれない。
「とにかく、スール・オーレリアはもう少しご自分のお美しさを自覚なさるべきなんです。本来であれば我がカレール王国の王妃になられる方ですのに」
 思わずオーレリアは顔をしかめた。その話はやめてほしい。
「スール・レア。わたくしはただの修道女ですよ」
「こんっなにお美しい修道女がそうほいほいいてたまりますかっ!」
 レアの熱弁に、オーレリアは、遠い目をした。駄目だ。聞いてくれる気がしない。こういう時の対処法を、意図せずに身につけてしまったオーレリアは、抗弁よりも話を逸らすことを選んだ。
「とにかく、スール・レア。もう病室に近いのですから、静かにすべきです」
 できるだけ厳かな口調を心がけたが、レアの返事は軽い。
「はぁい」
 それでもレアにも病人を気遣う優しさはあったのか、以降は静かになる。それを見届けてから、オーレリアはドアを開いた。

 国境沿いという立地ゆえに、この修道院は豊かではない。昔からカレール王国は隣のバウムガルテン王国と不仲で、小競り合いも多い。そんな場所に建つ修道院は、戦火に馴染みが深い。よって、荘厳というよりも質素で素朴な建物になっている。
 壁は近隣の土を使った赤茶けた煉(れん)瓦(が)で、立っている柱も太くてまっすぐとは、とても言えない有様だ。部屋の扉も簡素な木の板でできているが、この修道院の運営が財政的に厳しいため、という理由からではない。いつ戦火で焼けても再建できるようになっているのだ。その質素なドアをきぃぃ、と軋(きし)ませて、オーレリアは病室に入った。病室にはすでに修道院長がいて、病人と何事かを話している様子だった。オーレリアらが入室してきた気配に、二人は話を中断してこちらを見る。
「スール・オーレリア。それにスール・レア。神のご加護を喜びましょう。こちらの騎士殿は、もうなんの問題もなく動けるようですよ」
 院長の言葉に微(ほほ)笑(え)みを浮かべ、重傷だった男に目を移す。兜を脱いだ男の顔は予想外に若く、黒髪に柔らかな新緑の目をしていた。二十かそこらの年齢に見える。村人から男物の服を借りたのだろう。簡素な白いシャツとズボンをはいたその男の顔に、オーレリアは息を呑んだ。
「…………っ」
「スール・オーレリア、とおっしゃったか。礼を言います。あなたがいなければ俺は、命を落としていたに違いありません」
 低く滑らかな声が記憶を揺さぶる。

『オーレリア、ここがいいのか』
 後ろから貫くのが彼の好む抱き方だった。抱かれてみっともなく喘(あえ)ぐ自分の顔を見られないだけ、オーレリア自身もその抱かれ方を好んでいた。
『俺のための、傷だ……』
 彼を守るために受けた背中の傷に舌を這わせ、じっくりと抉(えぐ)るように奥をぐりぐりと虐(いじ)められる。
『あぁっ、や、そこはぁっ』
 ぐい、と体重をかけて奥をこねられることが、こんなに気持ちいいと教えてくれたのは、この二人目の夫だった――。

「――スール・オーレリア? 顔が赤いようですが、どうしたのですか?」
 院長の訝(いぶか)しげな声に、どっと動悸が襲う。
「い、いぇっ、なんでもっ」
 思わず火照(ほて)った己の頬を両手で覆う。どうして彼が。二人目の夫が、ここに。四回目の人生をやり直している今、絶対に彼には会わないよう、こうして出家したのに。どうして未来のバウムガルテン国王が、隣国の国境沿いで倒れていたのだ……!?
「……お嬢様……?」
 隣から聞こえる、レアの疑問に満ちた呼びかけにも、なんの反応もできない。三回目の人生で夫だった人に思いがけなく再会して狼狽(ろうばい)していますなんて、いったいどうやって説明できるのだろう。狂人と思われるのが落ちだ。
「――ここにいたのか、オーレリア」
 そのオーレリアの背中に、新たな声がかかった。甘さを漂わせる、聞き慣れた声。オーレリアは心中でひぃっと悲鳴を上げた。
「これは、ユベール様。ようこそ当修道院にいらっしゃいました」
 院長が立ち上がって、オーレリアの背後に向かって頭を下げる。熱くなった体が一気に冷えていく。
「どうしたんだい、スール・オーレリア?」
 一人目の夫だった人が、首を傾げる気配さえ背中で感じ取れた。
 目の前の夫(二人目)に背後の夫(一人目)。
 うっすらと遠ざかる意識を自覚しながら、オーレリアはこれまでの三回にわたる挫折の人生を、走馬燈のように思い出していた――。 

   
   滅び、



 オーレリアとユベールは幼なじみで、従兄妹(いとこ)の関係だった。昔からこのカレール王国は魔法使いを生み出すことで有名な国で、その魔法使いの血を絶やさぬため、近親婚が奨励されている国でもあった。そもそも建国の祖が大地を自在に操る魔法を使っていたらしい。彼はその力で都を築き、敵を阻んだという。
 代々続いた魔法使いの血は、様々な魔法を顕現した。ある者は風を操り、ある者は水を操った。もちろん中には魔法を使えない者もいたのだが、王家の血筋は高い確率で魔法使いを生んだのだ。伝えられる魔法の中で最も強大な力を持つと認められたのが、王家の直系、ユベール王子だった。彼は今まで誰も操れなかった炎の力を自在に操った。炎は、破壊の力だ。成熟した国家であるカレール王国にとって、敵を焼き尽くすことのできるユベールの力は、かねてからの敵国を併呑(へいどん)するための重要な戦力として考えられていたらしい。
 だが近親婚の弊害として、それで生まれる子は体が弱い。強い魔法の力を持ちながらも、大人になるまで成長できる子は少なかった。ユベールとオーレリアの成長も慎重に見極められていたらしいが、二人が無事に成人できるだろうという見込みを得られた、オーレリアが十歳の頃に二人の婚約は決まったらしい。オーレリアが王家の濃い血を継ぐというだけではなく、珍しい治癒魔法の使い手だということも、婚約の大いなる後押しになったことだろう。
 オーレリアにとってのユベールは、とても仲のいい兄のような存在だった。二歳年上の彼をオーレリアは非常に信頼していたのだが、そんなオーレリアにとってもあれはいかがなものかと、人生を繰り返した今となっては思う。
「触りっこしよう、オーレリア」
 オーレリアが初潮を迎え、胸もふっくらとして女性らしくなった十四歳のある日、ユベールはそう言い出した。
「触りっこ?」
「そう。いずれ結婚するんだから、今から練習しないと」
 そうユベールは主張し、それに逆らう確たる論拠もないまま、オーレリアはユベールと触りっこをすることになった。
 当然ながら王族と公爵令嬢の逢い引きである。周囲に居並ぶ侍女侍従、護衛騎士の前でそんなことが許されるわけはない。が、ユベールはよく離宮でオーレリアとかくれんぼをしていた。かくれんぼや探検と称して侍女侍従から離れ、護衛騎士からさえ身をくらまして密室で二人っきりになる。そうして始まったのが、触りっこだった。
「は、恥ずかしいです、ユベール様」
 十四歳という少女といえど、大人と同様のドレスをオーレリアは着ていた。もちろんサイズはオーレリアに合った、小さめのサイズではある。丸く開いた襟ぐりのボディスを身につけ、その上にローブを重ねて着る。ふわりとドレスを膨らませる仕掛けだが、重くもある。そのボディスを下にずらして胸元の肌を出し、柔らかく指で撫でられる。
「だって、練習しないと、大人になっても上手にできるか分からないだろう? オーレリアだって痛いのは嫌だと思うし」
「痛いの? それはいや、です」
「だからほら、練習しないと」
 一方のユベールも、大人と同じような服装だった。ふわりとした白いクラヴァットを首に巻き、上衣にはジュストコールを纏っている。白いジュストコールの裾には金糸で刺繍がしてあって、彼の清廉で、少年らしい美貌を際立たせてもいた。そのユベールは練習と称して、オーレリアの肌に接吻(せっぷん)した。なんだかとてもいけないことをしているような気がする。それにくすぐったいのに、それだけではないような疼(うず)きもある。
「ユベール、さま、でも……っ」
 接吻したついでとばかり、少しだけ吸い上げてからユベールは微笑んだ。ダークブロンドの髪に青空みたいな目をしたユベールは、いつもは天使のように美しい少年なのに、今だけは人を堕落に誘う悪魔のような、妖艶な顔をしていた。オーレリアのボディスははだけられているのに、彼はクラヴァットさえ乱れていない。
「痛い?」
「痛くない、ですけど、でもっ」
「じゃあ練習は成功だ。よかった、オーレリア」
 戸惑うオーレリアから体を離して、ユベールは清らかに笑ってドレスを直してくれる。練習が終わったことにほっとして、それからどこか物足りないような感情を恥ずかしく思う。練習しただけなのに、嫌とは言ったけれどもっとしてほしかったなんて、なんだかとてもいけないことを考えているみたいだった。
 それから時折の探検で、ユベールの触りっこはだんだん大胆になっていった。
「オーレリアも触って? ほら、大きくなってる」
「お、おっき、ぃ」
 ユベールの下肢を指で撫でて、掌に包んで扱(しご)くこともあったし、そのお返しでオーレリアの下肢を広げて観察されることもあった。
 それでも、その進行は少しずつで、止める機会を逸しているうちに十六歳の頃には、オーレリアの体はユベールの指を食(は)んで、中だけで絶頂するまでに開発されていた。
「オーレリア、ようやくオーレリアの初めてをもらえるね」
 十八の結婚式後。初夜のベッドでそうユベールは艶然(えんぜん)と笑ったが、オーレリアは思った。もうほとんど初めては捧げてしまっているのではないかな、と。だがユベールの本気を見誤っていたのだと気づいたのは、ユベールに乙女を貫かれてからだった。
「ひ、ぁ、ぁんっ」
「ずっとずっとこうしたかった、オーレリア。僕の大切な大切な女の子。僕だけのオーレリア。僕のために生まれてきてくれた、愛する片割れ」
 中で絶頂できるオーレリアにとって、破瓜(はか)の痛みはほとんどなかった。今まで指でかき混ぜられるだけで疼いていた奥の奥にユベールのそれを突き入れられ、オーレリアは初めて充足というものを感じた。
「ぁ、あ、そこ、きもち、いぃっ」
 気持ちいい時は気持ちいいと言うこと。体がぶるぶる震える時はもうイキそうだと言うこと。がくがくっと痙攣(けいれん)したような時は、イッたと伝えること。全部ユベールがオーレリアの体に教えこんだことだった。
「奥がもう感じるの? 僕のオーレリアは可愛いな。僕だけのオーレリア。可愛い可愛いオーレリア」
 ユベールの声は愛情に満ちているように聞こえるのに、体の奥を貪欲にこじ開けてこねてくるユベールの動きに、容赦はなかった。それなのに、それが気持ちいい。僅かに混ざった痛みさえ、気持ちよさをさらに煽(あお)るスパイスにしかならなかった。
「あ、あっ、もうイキそうっ、なのぉっ」
 体がぎゅっと縮こまるような、弾けるのを待つようないつもの衝動が、いつもより数倍強くオーレリアを襲う。
「――まだ、だめ」
 ユベールの動きが止まる。
「ぁ、あぁっ、……ふぁ……?」
 ぶるぶると震えている体が、がくがくっと果てそうになるのを身構えていたオーレリアは、突然動きの止まったユベールを、どうして、と見上げた。ユベールの青空みたいな目が、夜の明かりの中では夜空みたいに光った。
「初めては、一緒がいいでしょう?」
 ふふっと笑ったユベールの言葉がよく飲みこめない。
「ゅ、べぇる……?」
 触りっこをしている間は、名前で呼ぶこと。様もつけないこと。ユベールの言いつけを守ろうと、努力すること。四年の間に教えこまれたことを、体が思い出す。
「ぅ、うんっ」
 よく分かっていない。けれど体が勝手に頷いてからようやくオーレリアにも分かった。ユベールはきっと、一緒に達したいのだ。だからオーレリアは我慢しないといけない。どれだけ体が焦(じ)れても、先に達しちゃ駄目なのだ。焦れて達したがるオーレリアに、我慢の仕方を教えたのもユベールだったから、きっとできると思う。我慢が辛くて泣いちゃったとしても、ユベールは涙を舐め取ってくれるからきっと大丈夫。そう思い、再びうん、と頷いた。
「いい子だね、オーレリア。僕の可愛いオーレリア。僕だけのオーレリア」
 そこからは、オーレリアは手の甲を噛んで耐えようとした。でもユベールにそれは駄目だと取り上げられて、シーツを噛んで耐えた。体中を強ばらせて、登り詰めていこうとする自分の体を抑えた。耐えて耐えて耐えたのに、ユベールはまだ達してくれない。
「――ゆべぇる、もう、むりっ、むりなのぉっ」
 びくびくっと震えが走るのを何度も我慢している。でも、もう体がその先にいこうとしている。
「もう無理? もう少し、なんだけど……っ」
 ユベールの声も、余裕をなくしているようで掠れ始めている。それが嬉しい。ユベールが自分の体で気持ちよくなってくれるのが嬉しい。でも、苦しい。
「も、つらぃ、のぉっ」
「かわいい、な、オーレリアっ。僕だけでいっぱいになって、僕のことしか考えられなくなっててっ」
 これまでが遊びだったのだというような激しさで、ユベールがずちゅずちゅと奥を突き始める。指だけでも気持ちよかった場所が、ユベールの全部で擦られて視界に星が散る。しっかりと腰を掴まれていて、逃げ場のない快楽が一気にオーレリアを飲みこんでいった。
「ぁあぁぁぁっ、だめ、も、あぁぁぁぁぁっっっ」
「いいよ、イって。僕も射精(だ)すからっ」
 いいよ、という言葉で体がどっと緩む。もう我慢しなくっていいんだ。もう気持ちいいのを全部ぜんぶ受け入れていいんだ。ふわりと浮いた意識が、体の絶頂に再び飛ぶ。自分の悲鳴みたいな声を虚ろに聞いて、気持ちいいだけで満たされた体に、熱い飛沫が注ぎこまれて。
「んんんぅ、んんんっ」
 意識は暗転していくのに、絶頂から降りられないままに快楽だけを感じ取って。
 それから目が覚めてもまた絶頂していて、何度か意識を飛ばしてからようやく朝が来て、ユベールの本気を思い知った新婚初夜だった。



 オーレリアが二十歳になった年に舅(しゅうと)であるカレール国王が隠居を宣言し、ユベールが二十二歳の若き国王として即位した。ユベールは強力な魔法使いで、その魔法の力を使って周辺国を睥睨(へいげい)することができると見込んだ先代国王による、譲位劇だった。彼ならばその力で、バウムガルテン王国の国境沿いどころか、国中でも焼き払えるだろう。その炎の力で、目障りだった隣国を併呑する。そういう思惑があったに違いない。
 一方、隣国のバウムガルテン王国でも若き国王が即位していた。バウムガルテン国王ランベルトは二十四歳。血の三年と呼ばれる最初の年に他の王位継承者を殺し、続く数年で大貴族を粛清した。最後には父たる国王さえも弑逆(しいぎゃく)したという噂の、黒い即位だった。
 ランベルト即位前もバウムガルテン王国とカレール王国との仲は良好ではなかった。が、ランベルトが即位してからというもの、国境であるニクス河周辺では小競り合いが勃発した。幾つもの小競り合いが頻発し、それらがやがては溶けあうように一つの大規模な戦争に燃え広がっていくのを、オーレリアは遠く離れた王宮から悪夢を見るような心地で眺めていた。
「ユベール様」
「僕が行く。僕が行って戦争を終わらせてくる。そのためにこの力を持って生まれてきたんだ、きっと。君を守るために」
 王宮からは魔法陣を伝って各地へと瞬時に移動できる仕組みが整っている。魔力を持たない人間にはなんの意味も持たない模様が、バウムガルテン王国からこの国を守ってくれるのだ。オーレリアはこの時信じて疑わなかった。ユベールさえ参戦すれば、この戦いは終わるのだということを。
 歴代でも最強の力を持つユベール。彼が放つ火炎は全てを焼き尽くし、焦土に変える力がある。そんな彼にバウムガルテン王国が敵うはずもない、と。
「お怪我にだけは、気をつけて。……わたくしも一緒に参りたいですわ」
「君は連れて行けないよ、僕のオーレリア。王妃が前線に出るようになれば、この戦(いくさ)は敗色濃厚だ。……大丈夫、オーレリア。すぐに片付けて帰ってくるから」
 ユベールは軽装だ。彼が使う武器は己の魔法のみ。だからなめし革に鉄の輪を縫い付けた軽鎧にサーコートを羽織っている。そんなユベールとキスをして、彼を魔法陣が飲みこむのを見送った。ユベールがそれから一年近くもの間、前線をさまようことになろうとは、この時のオーレリアは知る由もなかった。

 バウムガルテン王国は、否、国王ランベルトは強敵だった。彼はユベールが参戦する前線の兵を引き、その代わりに別の戦場に力を入れた。ユベールに戦場の移動を余儀なくさせ、そうやってカレール王国軍を翻弄(ほんろう)するうちに、ユベールが魔法陣で移動できる回数が一日に三度だと割り出した。そうしてユベールがその日三度移動するまで前線を動かし、別の場所を制圧したのだ。軍を焼くユベールと、続々と送り込まれる敵兵。ランベルトとその側近は焼かれた軍を瞬く間に立て直し、再び前線に送り込む。いくら焼いても次がいるのだと、嘲笑(あざわら)うように。反対に、ユベールのいないカレール軍は弱かった。ユベールの援軍が来るまで耐える。それさえ叶わず、バウムガルテンの猛攻の前に崩れ去る軍の、いかに多かったことか。
 それでもユベールは制圧された都市を取り戻し、その間に別の都市が落ちた。さらにランベルトはカレール王国軍の内部にまで手を伸ばし、裏切りを教唆し……幾度目かの停戦交渉がようやく成立した翌年の春、ユベールはようやく一年ぶりに王宮に帰ってきたのだった。
「ユベール様っ!」
 ユベールの面立ちは、すっかり様変わりしていた。どこか華奢で線の細かった彼は、騎士としても通じるような、頑健な肉体に変わっていた。それ以上に顕著だったのが、目の光だ。幾つもの凄惨な戦場をさまよった彼の目は、すっかり光を失っていたのだ。
「ユベール、さま……っ」
 安全な王宮で守られていただけのオーレリアに、なにが言えただろう。ただ抱きついて、彼に抱きしめられるだけ。
「――帰ってきたよ、オーレリア」
 泣きじゃくるオーレリアを抱きしめて、ユベールは大きく息を吐いた。それでも停戦したはずだ。もうしばらくは、ユベールは戦場に向かわなくていい。安全なこの場所でユベールを癒やしていける。そう思っていた、その夜だった。
 カレール王国の王都は、火に染まった。

 停戦交渉を信じたカレール王国を急襲したバウムガルテン王国は、王都を幾重にも取り囲み、逃げ出す民に襲いかかっているらしかった。
「なんていうこと……っ」
 王宮にも、侵入したバウムガルテン王国の兵が火矢を射ている。消火している声と、もう駄目だと叫ぶ声が入り交じる。
「バウムガルテンの悪魔め……っ」
 ユベールが呪(じゅ)詛(そ)を吐いた。
 国王の寝室からバルコニーに出て、燃え盛る王都を見下ろす。視線を横に流せば、燃え始める王宮が見えた。
「……あなた……」
 呪い殺しそうな目でバウムガルテン王国の陣を見下ろす、ユベールの手を握る。もう無理なのだと、オーレリアにも分かった。もうこの国は、カレール王国としてのこの国は、終(しゅう)焉(えん)を迎えたのだ。この炎の中で夫と共に逝こう。そう思い、彼を見上げて微(わ)笑(ら)った。微笑って見上げた先の夫は、思い詰めた目でオーレリアを見下ろしていた。
「あなた……?」
「オーレリア、君だけでも。僕の大切な君だけでも、安全な場所に……っ」
「あなたっ」
「オーレリア、君だけが僕の唯一だった。君が僕の全てだった。愛している。愛しているよ、オーレリア」
「ユベール様っ!」
 嫌な予感しかしなかった。ユベールの手を振りほどこうと身をよじっても、夫の体はびくとも動かなかった。
「君を直轄領の離宮に跳ばす。……ははっ、こんなことなら試しておけばよかった。でも理論上は可能なはずなんだ。魔法陣などなくても、君を安全な場所に、僕なら跳ばせる」
 自嘲しながら、ユベールが魔力を込めていく。魔法陣を使わない転移など、いかに魔法の才に恵まれていようが、あまりに無謀だった。オーレリアとて己が力のみで転移しようなど、考えたこともない。それなのに、彼の魔力は強く練られていく。ただ、オーレリアを守るためだけに。彼にどんな危険が及ぶか分からないのに。
「いやっ、いやですあなたっ!」
 叫んで翻意を訴える。抱きしめあって横たわっただけの静かな時間が最後で、その瞬間を抱えたまま自分だけが生き延びるなんて嫌だ。危険な魔法を愛する人に使わせて、危険な場所に彼を一人で置き去りにして。それを抱えたまま生きていくなんて、思うだけで苦しすぎる。
「君を、絶対に安全な場所に跳ばす。オーレリア、生きて。生きて、幸せでいて。……僕のことを、忘れないで」
 夜空色の目から一筋の、涙が零れた。その姿が水の中みたいに歪んで揺れる。
「いや……一緒がいいの……」
 一緒に逝きたい。そんなオーレリアの言葉をユベールが受け取って、大切そうに微笑うのが見えた。
「ごめん、オーレリア」
 ユベールの魔力が体から溢(あふ)れる。燃え上がる王都よりも眩しく輝く光が、ユベールからオーレリアに移動して、飲みこんでいく……。



 ――次に目を開いた時、オーレリアは少女に戻っていた。

 泣きじゃくって目を開け、涙を払う自分の手がぽっちゃりと幼いことに気づき、呆然とする。見下ろした自分の体は幼く、そうしているうちに父であるトスチヴァン公爵が、上機嫌でオーレリアの部屋に入ってきた。
「やったぞ、オーレリア! お前と殿下の婚約が正式に決まった!」
 オーレリアの様子に気づかずに踊るような足取りで入ってきて、そう歌うように告げてくる。記憶にあった父の姿と、寸分変わりない姿だった。
「――おや、どうしたのだ、私の最愛の姫。どうしてそんなに可愛い目を腫らしているのだね? 誰かがお前にひどいことでもしたのかね?」
 推論を述べるうちに剣呑な目になっていく父に、そういえば父にはこういう、推測だけで激怒できる親馬鹿な気質があったことを思い出す。バウムガルテン王国との戦いで死んでしまった父。魔法使いだった父を、何百人もの兵が囲みこんでついに討ち取ったらしい。遺体が返されることは、なかった。
「お父様……」
 新しい涙がぽろぽろと流れていく。
「お父様お父様お父様っ!」
 抱きついて泣きじゃくる。生きて動いて温かい。父がまだ、無事で元気だ。そのことが奇跡みたいに思えた。

 ――奇跡。

 ユベールはオーレリアを、安全な場所に転移させるつもりだったのだろうと思う。直轄地の離宮と言っていた。それが、どうしてだか今のオーレリアは十歳の、婚約が決まっただろう時を生きている。
 時間を越えた、のだろうか。無事を祈るユベールの魔力が暴走でもして、本来なら空間を越えるはずが時間を越えてしまったのだろうか。
「…………っ!」
 だが、それならば。オーレリアが二十になった時に起こった戦争を、未然に防ぐことができるのではないだろうか。だってまだ十年も先のことだ。まだ幼いオーレリアが積極的に力と知恵と人脈を蓄えることで、未来を変えることができるのではないだろうか……?


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