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婚約破棄された没落令嬢 第二皇太子に下げ渡されましたが、蕩けるほどに溺愛されています

すずね凜 / 著
幸村佳苗 / イラスト
定価 1,320円(税込)
発売日 2020/11/27

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内容紹介

やっと手に入れた、もう逃がさない
「捕まえた、もう、離さない」
公爵令嬢のソフィアは、次期皇帝・第一皇太子の婚約者だったが、突然婚約破棄を言い渡され、下げ渡されるように第二皇太子セガールの結婚相手にさせられてしまう。セガールは一見快くこの婚姻を受け入れたが、払い下げの令嬢を押し付けられて、内心快く思っていないのではと不安になるソフィア。「私だけの可愛い妻」そう囁くセガールの甘い声に蕩けさせられ、熱い愛撫に痺れる身体を押し倒される。灼熱の塊はソフィアに本当の愛と官能の悦びを与える。しかしある日、セガールには密かな想い人がいることを知ってしまい……。この手をもう離すことなんて出来ない!! 国家の繁栄に尽力する第二皇太子と運命に翻弄される公爵ソフィアのすれ違い溺愛ラブ!!

立ち読み

 序章


 初秋の夜は、しんしんと更けていく。
 堅牢なシュッツガルド皇城は、月明かりに映えてしらじらとその姿を浮かび上がらせている。
 皇城の最上階の一角に、皇太子専用の寝室があった。
 ソフィアは、立派な天蓋付きの大型ベッドの隅に浅く腰を下ろし、うつむきながら夫になる人が現れるのを待っていた。
 長く艶やかなハニーブロンドの髪は侍女たちによって丁重に梳(くしけず)られ、隅々まで清(せい)拭(しき)された身体に透けるような絹の寝間着を羽織って、その姿は天使のように無垢で美しい。
 しかし、ソフィアのエメラルド色の瞳は、不安で揺れている。
 初めて男性と褥(しとね)を共にする処女としての怯えもあったが、なにより、相手が自分を受け入れてくれるのかを憂慮していた。
 
 ソフィアは本来は、次期皇帝になる第一皇太子ニクラスの婚約者だったのだ。
 それが、突然一方的にニクラスから婚約破棄を言い渡された。
 立場を失ったソフィアは、下げ渡されるように第二皇太子セガールの結婚相手にさせられた。
 セガールは一見快くこの婚姻を受け入れたように見えるが、本当は意にそぐわないことだったかもしれない。
 セガールには、意中の女性がいるという。
 それが、よんどころない事情で払い下げの令嬢を押し付けられて、ソフィアのことを内心快く思っていないかもしれない。
 その気持ちは、ソフィアにも理解できる。
 自分にも、淡いけれど心を寄せていた人がいた。
 それが、突然の運命のいたずらで、二人は夫婦になることになった。
 こんな気持ちのままで、果たして夫となる人とうまくやっていけるのだろうか。
 千々に乱れる思いで、ときの経つのを忘れていた。
 静かに寝室の扉が開く。
 かすかな衣(きぬ)擦(ず)れの音を響かせて、密やかな足音が近づいて来た。
「待たせたね」
 低く聞き心地のよいバリトンの声に、ソフィアはハッと我に返った。
「――い、いいえ」
 顔を上げると目の前に、すらりと長身の青年が佇(たたず)んでこちらを見下ろしている。
 短めの黒髪、知的な額、鋭い青い目、高い鼻(び)梁(りょう)、男らしく鋭角的な面立ちは、少し冷たいと思えるほど整っている。
 鍛え上げられた肉体を、踝(くるぶし)まで届くゆったりとした白い寝間着に包み、異国の王様のような雰囲気だ。こんな状況でなければ、うっとりと見(み)惚(と)れてしまうほど美麗だ。
 だが、彼の長い腕が差し伸べられ、しなやかな指先が頬に触れてくると、びくりと身が竦(すく)んでしまう。
 さらに緊張が高まり、心臓がバクバクいう。
 ソフィアは思わず目を外(そ)らしてしまう。
 頬に添えた指先はそのままに、セガールが滑らかな口調で言う。
「私が、怖いか?」
「はい……」
 ソフィアは素直にうなずいた。
「そうだな、初めてだからな――当然だろう」
 頭上で、セガールが小さくため息をついた気がする。
 それから彼は、ゆっくりと跪(ひざまず)き、目線をソフィアに合わせてきた。
「顔を上げて、ソフィア」
 命令されたような気がしておずおずと顔を上げると、目の前に端整なセガールの顔があり、彼の息遣いが感じられ、緊張はさらに高まってしまう。
 でも、武人としても名高い彼の射るような青い目に、視線が捕らえられてしまったように動かせない。野性味を帯びた美貌は、威圧的ですらある。
「今宵、私たちは結ばれて、夫婦になる。あなたには、もしかしたら意にそぐわぬ婚姻かもしれない」
 率直に言われ、胸がちくんと痛んだ。
 セガールは聞いているだけで背中が震えるような艶めいた声で、続ける。
「だが、これが運命ならば、受け入れてほしい。神の前で誓ったように、妻となるあなたに、私は生涯の誠実と寛容を貫こう」
 真摯な声色に、別の意味で心臓がドキドキいい始めた。
 ソフィアはごくりと生唾を飲み込み、小声で切り出す。
「こんな私でも、よろしいのですか?」
 すると、セガールはかすかに口元を引き上げた。
「もちろんだ」
 笑みを浮かべると、端麗すぎて近寄りがたい顔が、少しだけ柔らかくなる。
 ソフィアはほっと息を吐く。
「ソフィア」
 名前を呼ばれると、全身がかあっと熱くなった。
 頬に添えられていた指が、そろりと顎に下りて来て、上向かされた。
「ぁ……」
 ゆっくりとセガールの顔が寄せられてくる。
 思わず目を瞑(つむ)ると、唇に柔らかな感触があった。それはそのまま、撫(な)でるように二度三度と、ソフィアの口唇を撫で回した。
 セガールの顔がわずかに離れ、彼は酩(めい)酊(てい)したような声を出す。
「あなたの唇は、いつも柔らかく甘い――飽くことがない」
 それはソフィアも同じ思いだ。
 彼からの口づけは甘美で官能的だ。
 再び唇が重なる。
 今度は最初より強く唇が押し当てられ、その勢いで上唇がまくれ上がった。
 ぬるっ、とそこを濡れたものが撫でた。
「っ……」
 セガールの熱い舌が、舐めてきたのだ。
「ん……っ、ん」
 息苦しさとこれから起こるであろう行為への不安に、思わず顔が逃げようとしてしまう。
 すると、男らしい大きな手がやにわに後頭部に回され、頭をがっちり固定してしまう。
「逃げないで」
 そのままセガールは、喰らいつくような口づけを仕掛けてくる。
 濡れた舌先が強引に唇を割り開き、侵入してきた。唇の裏を舐められ、歯列を辿(たど)り、肉厚な男の舌は、口腔を乱暴に掻(か)き回してくる。
「ん、く……」
 いつもよりさらに激しい口づけに、ソフィアは身体を強張らせ、息を詰めてしまう。
 セガールの舌は、怯えて縮こまっていたソフィアの舌を探り当て、搦(から)め捕ってきた。
 ちゅうっと音を立てて強く吸い上げられる。
「んんっ」
 その瞬間、背中に未知の甘い痺(しび)れが走り、ソフィアは目の前がクラクラした。四肢から力が抜けていく。
「やぁ……ふ、んんぅ、んっ」
 猥(みだ)りがましい感覚にあっという間に溺れそうになり、力の入らない両手でセガールのたくましい胸板を押し返そうとしたが、無論ビクともしない。
 逆にセガールはもう片方の手をソフィアの背中に回し、さらに強く引き寄せてきた。
 そして、思うさまにソフィアの舌を味わい尽くす。
「んぅ、う、ふぁ、ん、んぅう……」
 舌の付け根まで強く吸い上げられ、くちゅくちゅと淫らな音を立てて口腔を掻き回されると、初めて知る官能の悦びに、恥ずかしい鼻声が漏れてしまう。
「んやぁ……は、や……」
 抗議の言葉すら呑み込まれ、繰り返し舌を吸われては溢れる唾液を啜(すす)り上げられる。
 全身の血が熱くなり、恥ずかしいのに得もいわれぬ心地よさに、抵抗できない。
「……ん、んぅ、は……ふぁ……」
 セガールの思うままに口腔内を蹂躙され、顔が火照って意識が遠のいていく。ぞくぞくした冷たいような熱いような痺れが、繰り返し下腹部へ下りていき、なんとも表現しがたいざわつきが身体の芯に生まれてくるような気がした。
 耳の奥でドクドクと自分の心臓の鼓動がうるさいくらい響く。
 永遠に続くかと思うほどの、長い長い口づけだった。
 終(しま)いには、ソフィアはセガールにぐったりと身をもたせかけ、されるがままになっていた。
 ようよう唇が解放されたときには、ソフィアは四肢にまったく力が入らなくなっていた。
「――はぁっ……は、はぁ……」
 忙(せわ)しない呼吸を繰り返し、酩酊した表情でセガールを見上げる。
 彼はソフィアの身体をぎゅっと抱きしめ、火(ほ)照(て)った額や頬に唇を押し付けながら、密やかな声でささやく。
「ソフィア、あなたはなんて無垢で、可愛らしいのだろう。いとけなくて、脆(もろ)そうで、ずっと守ってあげたくなる」
 こんなふうに異性に褒められたことなどないソフィアは、心臓が飛び出しそうなほどドキドキが高まってしまう。
 セガールはおもむろに、熱く蕩(とろ)けたソフィアの身体を軽々と横抱きにした。
「ぁ……」
 不意に身体が宙に浮く感覚に驚き、ソフィアは思わず両手でセガールの首にしがみついてしまう。自然と彼の耳元に顔が埋まってしまい、男らしい汗の香りと、どこか懐かしい柑橘系のオーデコロンの匂いが混じったものが鼻腔いっぱいに広がり、強い酒を飲んだみたいに頭が酩酊していく。
 セガールはそのままベッドに上り、シーツの上にふわりとソフィアを仰向けに横たわらせる。
 彼は両手をソフィアの左右につき、覆いかぶさるようにして、ソフィアを見下ろしてくる。
 寝室のかすかな灯りの逆光に、セガールの表情がよく見えない。
 ただ、その青い目は野生の獣のような危険な光を宿していた。
 これから起こる未知の行為に、恐怖といくばくかの興奮で脈動が速まる。
「ソフィア……ソフィア」
 セガールが繰り返し名前を呼び、ゆっくりと身体を重ねてきた。
「あ、あ、セガール殿下……」
 ずっしりした男の身体の重みの感触に、ソフィアはぶるっと震える。
 セガールの唇が、耳(じ)朶(だ)や頬を這い回り、唇を探す。
 ソフィアは思わず目をぎゅっと瞑り、身を固くする。
 彼女の怯えを感じたらしいセガールが、耳孔に少し乱れた息とともに声を吹き込んでくる。
「ソフィア、ソフィア、優しくするから」
 あやすように声をかけながら、セガールの手がソフィアの前開きの寝間着のリボンをしゅるしゅると解(ほど)いていく。
 素肌が露(あら)わになり、ソフィアの緊張はいやが上にも高まってしまう。
 肌の上を、そろりとセガールの手が這う。
 ぞくん、と下腹部の奥が慄き、身体中の神経が彼の動きを追ってしまう。
 横腹に沿って、セガールの手が上って来て、まろやかな乳房を包み込む。
「あ、ん……」
 擽(くすぐ)ったいような甘い感覚に、恥ずかしい声が漏れてしまう。性的興奮が全身を包み始め、ソフィアはなにも考えられなくなった。
「ソフィア、ソフィア――もう、離さない」
 セガールのくるおしげな声も、もはやソフィアの耳には届かなかった。



 第一章 皇太子殿下の許嫁になりました


 シュッツガルド帝国は、大陸最大の領土を持ち、経済的にも文化的にも抜きん出て進んでいる。代々、賢明な皇帝の支配の下、国は栄え国民たちは平和に暮らしていた。
 現在の皇帝シュッツガルド四世は、聡明で温厚な人物で、有能な臣下たちにも恵まれ、国家の政治は安定したものであった。だが最近、現皇帝は心臓の病を得て伏せがちで、実質の政事は第一皇太子ニクラスと第二皇太子セガールに任されていた。


 皇都の片隅に位置するクラウスナー公爵家の屋敷の前に、金ピカの自家用馬車が止まり、中から数名のお付きの侍女たちに手を取られて、豪華なドレスに身を包んだ妙齢の淑女が下り立った。
玄関前で、侍女がノッカーを叩く。
「まあ、よくいらしてくれたわ、ヴェロニカさん」
 扉を開けたのは、今年十七歳になるクラウスナー公爵家の一人娘ソフィアだ。
 ほっそりと背の高い彼女の色白でエメラルド色の瞳の化粧気のない顔はお人形のように整っていた。だが、着ているドレスは古臭いデザインで何度も洗濯をしたせいで色は薄れ、あちこち繕ったあともある。豊かな金髪は無造作にうなじで束ねられ、装飾品はなに一つ身に付けていない。
「ごきげんよう、ソフィアさん。お久しぶりですわ」
 一方で、ヴェロニカと呼ばれた同い年くらいの令嬢は、肉感的な体型で、赤金色の髪を手の込んだ複雑なスタイルに結い上げ、髪飾りからイヤリング、ネックレスに至るまで大粒のルビーで揃(そろ)えている。グラマラスなスタイルを強調するように豊かな胸元をコルセットで寄せ上げて、念入りに施した化粧は、その若さでは少しけばけばしいほどだ。
「来てくださって嬉(うれ)しいわ。さあ、入って」
 ソフィアは戸口から一歩下がり、ヴェロニカを招き入れる。
 一歩中に踏み出したヴェロニカは、ちらりと床を見て眉を顰(ひそ)め、足を止めてしまう。
「あらいやだ、床が塵(ちり)だらけ。下ろしたての靴が汚れてしまうわ」
 ソフィアは頬を赤らめた。
「ごめんなさい。掃除が行き届かなくて――」
 床だけではなく、古めかしい屋敷の中はあちこち壁紙が剥がれ、窓ガラスは曇り、カーテンは日に焼けて色褪(あ)せ、家具には埃(ほこり)が溜まっている。
 現在のクラウスナー公爵家の使用人は、古参で足の悪い侍女と高齢の庭師だけだ。
 手入れが行き届かないのはわかっていたが、ソフィア一人では手が回らない。
「あの、応接室は綺(き)麗(れい)にしてあるから、どうぞ」
 遠慮がちに言うと、ヴェロニカは仕方ないといったふうにため息をつき、従えている侍女たちに合図して、自分のスカートの裾を捌(さば)かせ、爪先立ちで入ってきた。
 応接室の年代物のソファをヴェロニカに勧めると、彼女はスカートが汚れると言わんばかりに、浅く腰を下ろす。ソフィアは気を取り直すように声をかけた。
「今お茶を淹れましょうね。私が昨晩焼いた、クッキーもあるのよ」
 するとヴェロニカは鷹揚に手を振った。
「ああよろしくてよ、私、午後からオペラ座で観劇の予定がありますの。その後は、大通りに新しくできたカフェでお茶をするから、すぐに帰るわ」
「そ、そう……それなら仕方ないわね」
 出鼻をくじかれ、ソフィアはヴェロニカの向かいのソファに腰を下ろした。
 すぐにお付きの侍女たちが、手に抱えていた大きなバスケットを、テーブルの上に並べ出す。
「ええと――これはうちの屋敷の余り物の食材。こっちが、私が着なくなったお洋服。これが履き古した靴と、洗濯倉庫に残っていたシーツ。それとこちらが、父上から預かったものよ。生活費の足しになさってね」
 ヴェロニカは、最後に手提げ袋から封筒包みを取り出し、テーブルに置いた。
「いつも本当に感謝してるわ。伯父上様にくれぐれもよろしくお伝えくださいね」
 ソフィアは平身低頭して受け取る。
 ヴェロニカはそんなソフィアの様子を、見下したように眺めている。
「本当に、ソフィアさんはお気の毒よねえ。お父上は詐欺にあって、莫大な借金だけを残して亡くなられるし、お母上は寝たきりのご病気だし。使用人はほとんど辞めてしまわれて、ソフィアさんは侍女みたいに一日中働いて。ああ本当に可哀想――あ、ねぇこのマニキュア、どうかしら? 最新流行のカラーなのよ」
 ヴェロニカがこれ見よがしに、手入れの行き届いた両手をかざし、長い爪を見せた。
「まあ、素敵な色ね、よくお似合いだわ」
 ソフィアはことさら明るい声を出し、爪を短く切り揃えた両手を、そっとテーブルの下に隠した。


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