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9784866690599

時めぐりは、幼馴染み騎士と一緒に

ナツ / 著
Shabon / イラスト
ISBNコード 978-4-86669-059-9
本体価格 本体1,200円+税
発売日 2017/12/26
フェアリーキスピュア

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内容紹介

大好きなあなたと一緒なら、運命だって変えられる!
ふたりの恋を導くのは、時を巻き戻すという精霊の護りの石。甘い恋と野望渦巻く王宮ラブコメ・ファンタジー!
婚約破棄が発端となって、王位継承をめぐる陰謀に巻き込まれてしまった王女アビゲイル。苦難の最中、アビゲイルを支えてくれるのは、小さな頃からずっとそばで守ってくれた幼馴染みの騎士、ジェレミーだ。彼への恋心に気づくと同時に、「オレはアビーが好きだ。もう絶対に離さない」と熱いキスと共に告げられ、彼との将来を胸に誓う。陰謀を覆すために頼りとなるのは、記憶を持ったまま、時を巻き戻すという古代の護りの石。愛を貫き、未来を変えるため、アビゲイルの反撃が始まる!
「君一人ではどこにも行かせない。約束するよ。君は一生、オレだけのものだ」

立ち読み

扉を開けたジェレミーは、アビゲイルの姿を見ると、聞こえよがしな溜息を吐いた。
 もう休むところだったのか、彼は寝間着姿だ。風呂から出たばかりのようで、髪はまだ乾き切っていない。首にかけたタオルで髪を拭きながら、ジェレミーは扉に軽くもたれ掛かった。
「アビー、前も言ったよね? 夜中に部屋を出ちゃダメだって」
「まだ二十一時だもの。夜中とまではいかないでしょう?」
「んー。確かにまだそんなに遅くはないけど……」
 ジェレミーは困ったように眉根を寄せる。
 何とも色気のある立ち姿に、アビゲイルは改めて見惚れた。
 長めの前髪から覗く二重の目といい、形の良い唇といい、本当に端整な顔をしている。
 騎士として強くなったジェレミーは、優れた容姿もあって、女性からの人気が高い。
 王宮で働くメイドはもちろん、下流貴族の令嬢方からも熱い視線を送られているらしい。
 それもそうだろう。彼が十一の時から一緒に過ごしているアビゲイルでさえ、最近のジェレミーにはドキリとすることがあるのだから。
「まあ、いいや。どうしたの? 何かあった?」
 心配そうに尋ねながらも部屋に招き入れるつもりはないらしく、ジェレミーは入り口に立ち塞がったままだ。
「ここじゃ話せない。中に入れて」
「分かった。じゃあ、母さん達のところに――」
「マリーにも話せないの!」
 頑なに部屋に入れようとしないジェレミーに、アビゲイルの苛立ちは募った。
 日中、ジェレミーはいつも優しくアビゲイルに付き添ってくれているのに、何故夜になるとこうしてあからさまに境界線を引くのだろう。
 考えているうちに、アビゲイルはある可能性に気づいた。
『日中親切なのは、それが彼の仕事だからよ、アビー』
 もう一人の自分が腰に手を当て、呆れ顔でこちらを見てくる。
『今はプライベートな時間だから、あなたに構いたくないってわけ』
 そんなはずはない。ジェレミーは、義務感からアビゲイルに優しいわけではない。
 彼はアビゲイルに剣を捧げている。永遠の忠誠を誓っているのだ。
 王女はドレスの上から護りの石を押さえ、ぎゅっと摑んだ。
「……分かったから、そんな顔しないで」
 ジェレミーは苦しげに瞳を眇めたが、すぐに何事もなかったかのような明るい表情でアビゲイルの鼻をつまんだ。
「しょうもない悩み相談だったら、怒るからね? くたくたに疲れてるし、今夜は早めに寝ようと思ってたんだから」
 そういえば、今日は騎士団の合同訓練だった。
 彼は本当に休むところだったのだ、とアビーは気づき、慌てて首を振った。
「それならいいわ。また明日でもいい話だもの。邪魔してごめんね、おやすみなさい」
 早口で言って踵を返そうとしたアビゲイルの腕を、素早くジェレミーが摑んで引き留める。
「もう目が冴えちゃったよ。何の話か気になって眠れないだろ。さっきのは冗談。足の小指をぶつけて今も痛いとか、そういうのでも怒んないよ」
 ジェレミーは笑みを含んだ声でそう言うと、アビゲイルを中に招き入れた。
 彼女の気持ちを楽にする為に、わざと軽口を叩いているのだと分かり、胸が暖かくなる。
 ジェレミーはいつもそうだ。
 アビゲイルの気持ちを最優先して、動いてくれる。
 先ほどまで彼女を苦しめていた不安な気持ちは、みるみるうちに霧散していった。
「アビーはその椅子に座って」
 ジェレミーの部屋は、そう広くない一間だった。
 一人用の丸テーブルに、椅子が一脚。
 壁にはベッドが寄せられ、もう片方の壁には本棚と洋服箪笥が置いてある。
 アビゲイルの視線に気づくと、ジェレミーは肩を竦めた。
「これで納得した? アビーを中に入れなかったのは、客を招けるような部屋じゃないから。意地悪で、立ち話してたわけじゃないよ」
「……ごめんなさい。ちょっとだけそう思ったわ」
「うん、そんな顔してた。でも分かってくれたならいいや。で? 話って?」
 ジェレミーは首のタオルを近くの籠に放り込むと、ベッドに腰掛けて王女と向き合う。
 アビゲイルは膝の上で両手を組み、セドリックとの会話を打ち明けた。
 ジェレミーは適度な相槌を打ちながら、口を挟まず話を聞いている。
 彼の美点は、人の話を遮らないところだ。アビゲイルはそれを再確認し、嬉しくなった。
「――というわけで、お互い好きな人ができた時点で、婚約を解消することにしたの。もし二人ともできなかったら、その時は諦めて結婚するという条件付きで」
「そっか」
 ジェレミーは短く答えると、ベッドに後ろ手をつき、天井を仰いだ。
「……かなりきついな」
「そうでもないわよ?」
 アビゲイルは慌ててセドリックを庇った。
「恋愛感情がないのはお互い様だし、きちんと打ち明けてくれて良かったわ。セドリックのこと、見直したもの。昔の彼なら、言わずに済ませたかもしれないわよね。最近、すごく男らしくなったって今日も――」
「アビー」
 さっきはきちんと話を聞いてくれたのに、ジェレミーは突然立ち上がると、彼女の話を遮った。
 アビゲイルは驚き、目を丸くする。
「……どうしたの?」
「ごめん。やっぱりすっごく眠くて、限界みたい」
「本当にごめんなさい」
 アビゲイルも立ち上がり、ジェレミーに詫びた。
「でも、ジェレミーに聞いて欲しかったの。あなたに隠し事するのは嫌だった」
「いや、オレの方こそごめん。ちゃんと頭切り替えて、また明日聞くよ」
 ジェレミーは寝間着の上に上着を羽織ると、剣を取り、アビゲイルと共に部屋を出た。
 送らなくていいとアビゲイルは言ったのに、聞かなかったのだ。
「今日はありがとう。おやすみなさい、ジェレミー」
「おやすみ、アビー」
 自室に入る直前、アビゲイルはふと思いつき、後ろを振り返った。
 彼は廊下に立ったまま、王女をじっと見ている。
「ジェレミーも、私には隠し事をしてないわよね?」
「……言えることは全部言ってるよ」
 少し間を空けて、ジェレミーは言った。

 ジェレミーは王女が扉の向こうに消えるのを見届けた後、しばらくその場に立ち尽くした。
 彼がこれまで押さえつけてきた想いを、アビゲイルは無邪気に揺さぶってきた。
 王女はセドリックと結婚する。それは揺るぎない確定事項で、だからこそジェレミーは、恋心を押し殺し、良き理解者としてアビゲイルに接することができていた。
 ところが今になり、セドリックとの婚約を解消するかもしれない、と王女は言い出した。かもしれない、というところが余計に厄介だ。
(それをオレに言って、どうしたいの?)
(オレはどんな顔で、君の話を受け止めれば良かったの?)
 不毛な問いが、ぐるぐると胸の中でとぐろを巻く。
 アビゲイルにとってジェレミーは『好きな人候補』にすら入っていない。
 先刻の相談でそれがよく分かった。王女にとってジェレミーは、まるで同性の親友だ。
 行き場のない悲しみが喉元までこみ上げてくる。
 ジェレミーは自分の部屋に戻り、椅子に座ろうとして、止めた。
 さっきまでアビゲイルが座っていた場所に自分が座ってしまえば、残っているはずのない温もりが消えてしまいそうな気がする。
「オレはアビーが好きだ。――これが君には言えない隠し事だよ」
 ジェレミーは椅子に向かって呟き、ベッドに倒れ込んだ。
 王女の全幅の信頼は、彼にとって残酷な棘であり、幸福な慰めでもある。
 彼女が迷いなく心を打ち明けられる、良き相談相手であろう。そう決めたのは、ジェレミーだ。
 この道を選んだのは彼自身。
 ならばどんなに苦しくとも、最後まで貫くより他ない。


   ◇ ◇ ◇


「第一王女、アビゲイル・レナーテ。ヴィンセント王子に毒殺した罪において、貴女を糾弾します。証人をここへ」
 議長が手をあげると、衛兵が一人の男を連れて来た。
 茶色の髪を長く伸ばした、冴えない風貌の男だ。若いのかそうでないのかもはっきりしない。
 どこかで見たことがある。アビゲイルは少し考え、すぐに思い出した。
 行きつけの菓子屋のショーウィンドウの前で、立ち話をしたことがある。ほんの数日前の話だ。
「アビゲイル様。この男をご存じですね?」
「はい」
 アビゲイルは素直に答えた。その途端、周囲がどよめく。国王が片手で目元を覆うのが見えた。
 何故、皆がそんな過剰な反応をするのか分からない。
 戸惑う王女の前で男は、行商の薬屋だと名乗った。
 彼はしわがれた声で「確かに、王女に頼まれ、毒薬を渡した」と続けて証言した。
 渡した薬は元々、鼠退治の為に調合したものだという。
「王女様とは知らずに、売ってしまいました。変装をしておいでで、ぱっと見ただけでは分からなかったのです」
「何を言ってるの? 誰かと間違えているのではなくて?」
 アビゲイルは堪らず口を挟んだ。
 職人通りまでの道を尋ねられたから、説明した。ただそれだけだ。
 お礼にと男は小さな包み紙をくれたが、中に入っていたのは飴玉だった。
 アビゲイルは説明したが、議長は首を振った。
「王女の部屋を改めましたところ、この男が言っている薬包が出てきました。王子殿下の食べ残した菓子は調査済みです。菓子の表面に塗り込まれていた毒と、王女殿下の部屋から出て来た毒は同じものだという報告が上がっています。その毒には特有の苦みがあるそうですが、ヴィンセント様は姉王女がくれたものだから、と誰にも渡さず一人で召しあがったそうです」
「うそ! そんなの噓よ!!」
 アビゲイルは叫び、父に駆け寄ろうとした。
 冤罪を被せられた衝撃を、弟王子の最期の説明が、軽々と越えていく。
 ヴィンセントはどれほど苦しかっただろう。アビゲイルは堪え切れず、悲鳴をあげた。
 王女はすぐに衛兵に取り押さえられ、その場に両膝を突かされる。
「お父様!! 私じゃない! 私はそんなことしない!」
 国王はとうとう両目を覆ってしまった。
 悲嘆を隠せない国王の肩に、ヴェンデル公爵がそっと手を置き、何事かを囁く。
 王は苦しげに、何度も頷いた。
 議長は沈鬱な表情を浮かべ、最終通告を下した。
「証拠は全て揃っており、すでに罪は確定しています。いくら王女とはいえ、王太子であるヴィンセント王子の命を奪った罪は重い。アビゲイル様には、その命で贖って頂くより他ありません」
「……そんな……」
 アビゲイルは大きく目を見開き、掠れた声を洩らした。
 国王はとうとう席を立った。
 公の場では決して私情を見せなかった彼が、堪えきれない悲しみを湛え、王女に背中を向ける。
 国王はそのまま部屋を出て行った。
 アビゲイル王女処刑の許可証には、すでに国王の署名がある。
 貴族達は王の退出に異を唱えることなく、痛ましげに彼の背を見送った。
「王族の命を剣で奪うことは守護精霊様の怒りに触れます。どうか、覚悟を。……アビゲイル様が王子殿下に盛ったものより、苦しまずに済む薬です。陛下のご温情を台無しになさいますな」
 議長は王女に告げ、傍に控えていた処刑人に合図を送った。
 処刑人は毒杯を手に進み、アビゲイルの脇に立つ。
 彼女は処刑人から顔を背け、きつく唇を引き結んだ。
 最後まで己の罪を認めない王女の態度に、周囲は苦々しい表情を浮かべる。
 王女は両膝を突かされた状態で、無理やり顔をあげさせられた。
 アビゲイルは歯を食いしばり、辛い真実と向き合った。
 彼女は罠に嵌められたのだ。
 王女の名前を餌にヴィンセントを殺し、その罪をアビゲイルになすりつけて殺そうとしている者がいる。
(一体、誰なの。誰が、あの子を殺したの)
 アビゲイルは頭の芯が焼き切れそうなほどの怒りを覚え、自分を取り囲む者を睨みつけた。
 王女と目が合うと、殆どの者は耐え切れないように顔を背ける。議長ですら、アビゲイルの鋭い視線に負けた。
 目を逸らさなかったのは、ヴェンデル公爵ただ一人。
 彼だけが、アビゲイルに対し何の動揺も見せなかった。切れ長の瞳にほのかな愉悦を浮かべ、メーリックは堂々とアビゲイルを見つめ返してくる。
 従伯父の態度を訝しく思う王女の口元に、毒杯が運ばれた。

 処刑人がアビゲイルの顎を摑み、唇をこじ開けようとしたその時。
 審議場の扉が、大きな音を立てて蹴り開かれた。
 開いた扉の向こうに目を向け、アビゲイルは瞳を歪める。
 入り口に立っているのは、彼女が会いたくてたまらなかった人だ。
 ここまで来るのに大勢の兵士と戦ったのか、ジェレミーの剣は血に塗れている。
 彼自身も頰をざっくりと斬られていた。斬られたのは頰だけではないのだろう。ジェレミーの足元にはドス黒い血だまりができている。
 立っているのがやっと、という酷い状態の彼を見て、人々は息を呑んだ。
 ジェレミーは唇から零れた血を拭い、剣を構え直す。
 すぐに彼は、両膝を突かされた王女を見つけ、殺気を迸らせた。
「……それ以上、姫に触れるな、下衆が」
 獣のように光る彼の瞳は、命が尽きる直前の灯火で激しく燃えている。
 王が退出した後も警護に残った王宮騎士が、一斉に剣を抜いた。
 ジェレミーと共に研鑽を積んできた仲間。その彼らが今、ジェレミーに止めを刺そうとしている。
「やめて! ジェレミー、もうやめて! 来ないで!」
 アビゲイルは絶叫した。
 彼を失いたくない。ジェレミーだけは死なせたくない。
「その人に手を出さないで! お願い、お願いよ!!」
 必死にもがきジェレミーのもとへ行こうとするが、王女を押さえ込む力は強くなるばかりだ。
 ジェレミーもまた激しい剣戟を繰り広げ、アビゲイルに近づこうとしていた。
 王宮騎士の剣を跳ね上げ、真横に切り裂く。
 一歩、そしてまた一歩。彼は荒い息を吐き、血だまりを広げながら、アビゲイルを目指した。
「姫、さま……っ。約束、しましたよね。この命をかけても、オレはあなたを守る、と」
 ジェレミーが途切れ途切れに吐く声は遠く、アビゲイルには届かない。
 だが彼が何を言おうとしているか、アビゲイルには分かった。
 滂沱の涙の向こうに、最愛の人が見える。
 王宮騎士の鋭い刃が、ジェレミーの胸を貫いた時、アビゲイルは悟った。
 王女の中にある彼への想いは、紛れもなく愛だ。
 アビゲイルはずっと、ジェレミーを一人の男として愛してきた。
 ――今になってようやく、己の気持ちに気づくとは。
 波のように押し寄せてきた絶望に、王女は慟哭した。
 血しぶきをあげて倒れたジェレミーは、それでも絨毯に爪を立て、ずるずると王女のもとまで這ってこようとする。
 もう誰も彼を止めようとはしなかった。
 ジェレミーは途中、真っ赤な手で襟元を探ると、誓いのペンダントを引っ張り出そうとした。
「ゆるして、あびー。やくそく、まもれな――」
 最後の力を振り絞って言い残し、彼は動かなくなった。
 目の前で事切れたジェレミーを見て、アビゲイルの心はパキン、と折れた。
 世界が急速に色を無くしていく。
 周囲の声も、もう聞こえない。
 アビゲイルは彼女を押さえている兵士の手に思い切り嚙み付いた。
 肉を食いちぎられそうな勢いで嚙まれた兵士は、反射的に手を振り払う。
 突き飛ばされ、床に転がったアビゲイルは、幽鬼のような形相で顔をあげた。
 ギラギラと光る王女の瞳は、もはや常人のものではない。
 アビゲイルの頭にはジェレミーとの約束しか残っていなかった。彼女が死ぬ時、護りの石は王家に返すと約束した。ジェレミーは約束を破っていない。彼は最期の一瞬まで傍にいてくれた。
(私も約束を守るわ、ジェレミー)
 アビゲイルはふらり立ち上がると、ドレスの襟元から護りの石を取り出し、鎖を引きちぎった。
 直接石を握り込み、復元の呪文を唱えようとする。
 ところが彼女の脳内に響いた声は、今まで聞いたことのない言葉を紡いだ。
『セス=ベントゥラ=レナーテ』
 分石を戻す呪文ではないと分かっていても、アビゲイルは取り憑かれたようにその言葉を口にしたくて堪らなくなった。
「せす、べんとぅら、れなーて」
 最後の一節は彼女の洗礼名と同じだ。
 アビゲイルがぼんやり思ったのと、辺りが真っ白な閃光に包まれたのは同時だった。


 階段を踏み外したような浮遊感を覚えた直後、ストン、とアビゲイルはどこかに着地した。
 短く息を吸い込み、深く吐き出す。
 いつのまにか固くつぶっていた眼を開けば、そこは王女の寝室だった。
 俯せに寝転がったままの恰好であることと、どうやら大泣きしていたらしいことを把握し、そろそろと身を起こす。頰を伝う大粒の涙を乱暴に拭い、アビゲイルは自分の置かれた状況を整理しようと試みた。
 テラス側の窓辺に近づき、精霊時計を見る。
 大陸暦一八七四年九月十日、十六時四十七分。
「九の、月?」
 アビゲイルは己の目を疑った。何度も目を擦り、精霊時計の日付を食い入るように見つめる。
 時間がひと月近く前に戻っている。
 大聖堂の弔鐘が鳴ったのは、大陸暦一八七四年十月四日だった。
 その三日後、彼女は審問会に引き出されたのだ。
 信じられないことに、時が巻き戻っている。――心当たりは一つしかない。
 アビゲイルは慌てて首に手をやり、護りの石を引っ張り出した。
 大きさは変わっていない。分石を失ったままの大きさを保ち、以前と変わらない煌めきを湛える瑠璃色の石を見て、アビゲイルは嘆息した。
 どういう仕組みかは分からないが、護りの石はアビゲイルが最後に唱えた呪文に反応し、アビゲイルの時を戻してくれたようだ。
 九月十日という日付には、嫌というほど覚えがある。セドリックに婚約を破棄された日だ。
 ――ということは。
(まだヴィンセントもジェレミーも、生きている?)
 アビゲイルは顔色を変え、寝室を飛び出した。
 寝室を出たちょうどその時、応接室の扉が激しく叩かれる。
「アビー! いたら返事をして!!」
 切羽詰まったジェレミーの声に、アビゲイルは崩れ落ちそうになった。
 みっともなく泣き出しながら、王女は震える手で部屋の鍵を外した。
 扉の向こうに立っていたジェレミーは、無傷だった。
 頰は綺麗なままだし、どこからも出血していない。
 彼のサファイアブルーの瞳はアビゲイルを見るなり潤み始め、やがてポタポタと涙を零し始めた。
「生きてる? 本物の、アビー?」
 ジェレミーの問いに、アビゲイルはこくこくと頷いた。
「良かった……。ほんとに良かった……!」
 ジェレミーはおもむろに両手を伸ばすと、アビゲイルを強くかき抱いた。
 背骨がきしみそうな程力強い抱擁に王女は息が止まりそうになったが、その苦しさすらも生きている証だと思える。
 アビゲイルもジェレミーの背中に手を回し、腕に強く力を込めた。
 二人は咽び泣きながら、お互いを固く抱き締め合った。

 ここが廊下だと先に気づいたのは、ジェレミーだ。
 彼は上着から取り出したハンカチでアビゲイルの頰を拭った後、恥ずかしそうに自分の涙も拭う。
「……ごめん、取り乱して。何が起こったのか、聞いてもいい?」
 アビゲイルもようやく落ち着きを取り戻し、彼を見上げた。
「ええ。でもその前に、ヴィンセントに会いたい。弟の無事を確かめたいの」
「そうだな。そうしよう」
 ジェレミーはすぐさま頷き、アビゲイルに同行してくれた。やはり彼もあの時の記憶を持っているのだ。
(では、ヴィンセントは? 彼が毒殺されたことを覚えていたら?)
 絶命するほどの苦しみを記憶したまま、時の巻き戻しに遭ったのなら、ヴィンセント王子は今頃震えているに違いない。
 グレーテや国王にも同じことが言える。
 記憶を保った彼らに疑いの目を向けられたら、と想像するだけで、王女の背筋は凍りついた。
 アビゲイルは不吉な想像に胸を焦がし、浅い呼吸を繰り返しながら、王子の部屋を目指した。


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